2011年2月27日日曜日

3776メートルの悪魔。

昼間オレが働いている奴隷農場(=会社)の親しい奴隷仲間数人と、先日、農場近くの場末の居酒屋で飲み会。水で何十倍にも薄められたサワーに続いて最初にテーブルに登場したのは超特大の大皿にこれでもかと盛られたシーチキン・サラダ。基本的に「肉」はノー・サンキューのオレですが、魚はOkなのでツナはまあいいのですが、シーチキンって名前が悪い。海のニワトリって、あなた。まあ、食感を考えれば言い得て妙とは言えなくも無いわけですが、などとブツブツ言いながら昼間の過酷な労働で空っぽになった胃袋に海のニワトリをレタスなどと一緒に美味しくかき込んだわけですが、店内のスピーカーからは有線放送のなつかしい歌謡曲がエンドレスに垂れ流されていて、ちょうど、アノ人が歌う♪ミスブランニューなんとかなんて曲がかかり出し、あの時代特有のピコピコしたテクノ歌謡風情のアレンジが中々のオレの好みで、アノ人が歌う他の曲は一切興味ないけどこの曲だけはイイ曲だなと昔(当時)から思っていたわけですが、ところで、そのアノ人ってお亡くなりになったんですか?え?亡くなっていない?こりゃまた早とちり。失礼しました。なにせ、普段、今時のTV番組を全く観ない落武者のような生活をしているので、こと芸能ネタに至っては全くの情報の孤島。最近書店に行ったらアノ人のドUPの顔があちらこちらの雑誌の表紙を飾り、それでもってオレの方を睨んでいるものだから正直気分悪いわぁ、と思いながらも、そういえばだいぶ前に入院したとかしないとか、なんて話をどこかで聴いた覚えがあったものですから、あん?もしかして追悼特集?なんて早とちりしたわけです。♪ミスブランなんとか・・・。あの曲だけはイイです。アレンジャーの手腕も大きいのでしょうが、出来れば他の人のヴォーカルで聴いてみたいところです。



さて、アルバム(CD)の完成を富士山の頂上と見立てれば、わがゴミ・バンド「ダンボール・バット」のニューアルバムのレコーディング、オレが録音を開始してから早4ヶ月が経とうとしているわけですが、納得のいかぬドラム・サウンドの編集・修正・録り直し作業に終始振り回され、富士山の一合目はおろか、その裾野にうっそうと広がる地獄のような「樹海」の闇の中を食うや食わず西も東も分からぬまま底の磨り減ったクツを引きずりながら当てのない出口を求めさ迷よい続けていた、ということになるのではないでしょうか。まさに不毛の4ヶ月間!!先日決行したドラムの再々レコーディングによってようやくほぼ納得のいくサウンドが得られたことで奇跡的にその悪夢のような樹海から無事脱出生還出来たものの既に体・精神ともに疲労困憊で、4ヶ月間という貴重な時間をみすみすドブに捨てた形になってしまったわけです。結局また4ヶ月前のスタート地点に逆戻り。言うなれば富士山の登山口の「入り口」の看板の前へと首根っこごとつかまれて引き戻された、といったところであります。ここはひとつ尻にムチ打って気分を取り直して張り切りたいところですが、その尻には既に血が滲んでいてアザやキズやコブだらけで、その肝心の尻を打つためのムチさえも樹海のどこかに失くしてきてしまったようです。目の前にそそり立つ富士の山。3776メートルの悪魔!!



▼今夜のBGM
血の一滴が枯れるまで戦え、と、言わんばかりに、根っこから折れたオレの心を鼓舞してくれるのはこのナンバー。一般には映画「ゴジラ」のテーマ曲の作者として知られる名匠・伊福部昭(1914-2006)先生作曲によるこの勇壮な管弦楽曲。
伊福部昭/ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ(1961年作曲)

2011年2月22日火曜日

ダムドにツバをかけられた夜。

ダムドのデヴューアルバム「地獄に堕ちた野郎ども」を爆音で聴きながら枕を高くして寝られる日が来るとは!!・・・どうも今晩は。全身(主に右半身)湿布(しっぷ)だらけのAMIです。もちろん湿布の理由(わけ)は連日連夜の地獄のレコーディング編集作業による過剰な筋肉疲労および昼間の奴隷農場(=会社)での極度の過労によるダブル・ダメージによるものです。しかし、湿布まみれになった甲斐がありました。前々回の日記に書いたように、先日再録音したニューアルバム用のドラム・トラックのうち7曲中1曲がどーしても納得行かず・・・・・・本音を言えば半数曲以上が納得いかなかったわけですが・・・・・・本日その1曲のみを録り直すという目的だけでおなじみ近所のスタジオ(通称=地獄の48丁目スタジオ)に機材を持ち込んでの再々録音を決行、さきほど無事地上に帰還してきたわけです。ドラムにマイクを立て、録音レベルを調整し、微調整を繰り返しいざ録音を始めてみると、あら不思議。前回より全然音がいいではありませんか(もちろん前々回よりも)!!特に、サウンドの要、オレが最も依怙地になってこだわっていたスネア・ドラムの音は雲泥の差。バスッという重みはないものの、谷間にこだまするカッコウの声のような涼やかで適度にふくよかな音(?)。この機会を逃す手はないと、1曲のみの録音って約束だったのをメンバー無理矢理その場で説き伏せ予定変更全曲再々レコーディングを決行!有無を言わさず時間も延長!メンバーにしてみれば甚だ迷惑至極!しかし、オレの願いを快く(?)承諾してくれたメンバーに心より感謝!お陰でこうして無事全7曲分のドラムを最良の状態で収録、持ち帰って来ることが出来ました。ダムドの1stのプロデューサーがコステロでなくてニック・ロウで良かった・・・と、誰かのブログに書いてあるのを目にし、なんとなく分かるような気がするよ、と、ニンマリしながら今朝スタジオへ出かける前、1stアルバムの中でも異彩を放ってるダウナーな名曲6曲目の「フィール・ザ・ペイン」(痛みを感じろ!!ってこった・・・)を鼻歌で歌っていたわけですが、ここ高円寺の場末、地獄の48丁目スタジオに、今日、どうやらニック・ロウがはるばるロンドンからウチらのレコーディングのため、見るに見かねて幽体離脱して来てくれたみたいです。クソ!オレはなんで2011年のこんなミミズの屁以下のシミったれた日本になんかいるんだろう?1977年のロンドンにいたかったぜ、ニック!とにもかくにもみなさんご苦労さん。ゴールに近道は無し。せめて今夜だけは枕を高くして眠らせて。そして、オレの冥府魔道の旅はまだ続く。南無観世音菩薩。アーメン。


▼今夜のBGM
そんなダムドではベース弾いてたキャプテン・センシブル。脱退後は元パンク野郎とは思えぬ高純度のポップ・ナンバーを量産&メロディーメーカーぶりを発揮。本曲は有名なブロードウェイのミュージカル「南太平洋」(1949年初演)の劇中歌をエレポップ風にカヴァーしたキャプテンの代表曲。英国を代表するプロデューサーの一人、トニー・マンスフィールドのセンスのいい仕事ぶりにも脱帽。

2011年2月21日月曜日

スミマセンじゃスミマセン。

会社に「スミマセン」を連発する阿呆がいます。一日に500回くらい言っているのではないでしょうか。相手の名前を知らないのであればともかく、普段一緒に仕事をしている顔見知りの間柄の相手にでさえ名前では決して呼びかけず「スミマセン」。誰に対しても「スミマセン」。別に謝るようなことをしていなくても「スミマセン」。口癖のように「スミマセン」。背中に電池でも入っているのかと思うくらいエンドレスで「スミマセン」を連発。それをまたしゃあしゃあと素っとぼけた無表情顔で言うものだから見ているだけでもなんとなく腹立たしくなるわけです。恐らく銀河系の彼方の「スミマセン星」からUFOに乗ってやって来たのか、生まれて初めて母親の胎内からこの世に生まれ出た瞬間に発した言葉が「スミマセン」だったのか、いずれそんなところでしょう。スミマセンをついつい日常的に連発するのはオレも含め日本人の悪い癖であり、どんな場面でもどんな相手にでも当たり障りなく使えてしまう便利な言葉には違いありませんが、ここまでスミマセンを連発する人間に出会ったのは初めてです。そして、最近スミマセンの本来の「意味」を知り、軽々しく一日に500回も1000回も発してはいけない言葉なのだということを強く思うようになったわけです。「スミマセン」・・・一体何が「す(済)んでいない」というのか?これ、元々は「禅」の言葉から来ているそうで、「まだ恩返しが済んでいない」という意味だそうです。私たちは他の生き物(米、肉、魚、etc)の命をもらってそれを糧として生きているわけです。それらに対しての恩。さらに、親の恩、師の恩、友人の恩、などなど、それらのもの全てに対しての恩返し(お返し)がまだできていない(済んでいない)。それは一生かかってもできないだろうという謙虚な気持ちが転じ、深い感謝の意を表す言葉としてスミマセンが日常的に使われるようになったのだそうです。いやはやなんとも重たい言葉であります。オレのようなクズは、例え1万回生まれ変わったとしてもアリの毛穴ほどの恩返しも不可能なニンゲンです。スミマセンの意味を知った瞬間、今日からは衿(えり)を正して生きてみようかなどと人並みに野暮な考えを起こしたものの、オレには正すべき衿そのものがすでになくなっているのに気付き、始めから衿の無いTシャツみたいなものだなオレは、と、自嘲して一人で笑ってみたりしたのです。


きのう喰った「アジの開き」美味かったなあ。しかし、あのアジを喰ってまで生きる価値のあるニンゲンなのか、ボク?・・・なんて考えていたらまた腹が減ってきました。今夜はホッケの塩焼きでもいただこうかしらん?嗚呼、ほんとうにスミマセン!スミマセン!スミマセン! (×1000回)





▼今夜のBGM
中村獅童がチョンマゲをかぶって演じた丹下左膳はなんともショボかった!オレの中で丹下左膳といえば高橋幸治が演じた1974年のTVヴァージョン(演出:市川崑)。動画が見つからず、ここでご紹介出来ないのが残念ですが、『一日のうちに生まれて死んでゆく「かげろう」に生まれ変わりたい』という刹那的な歌詞が胸を打つ小室等が歌うこのテーマ曲も忘れがたい。ハプニングス・フォーのクニ河内によるチェンバロを取り入れたセミ・クラシカルなアレンジも秀逸。
「かげろうの唄」(作詞:和田夏十(市川崑・夫人)作曲:小室等)/小室等


2011年2月18日金曜日

毒キノコに泣け。

耳の裏にタコが出来ました。タコというかデキモノというか。それもこれも、連日長時間に渡るレコーディングの編集作業のため装着し続けた密閉型のピッチリとしたヘッドフォンのせいです。以前も暑い夏の時期に冷房もない部屋で数日間ヘッドフォンを装着し続けたために蒸れてデキモノが出来た経験はあったのですが、クソ寒い冬のろくな暖房もない環境の中でこんなモノが出来たのは初めてです。連日連夜の地獄の編集作業の一端がお分かりいただけますでしょうか?そして、体調不良は他にも。例えば、録音機材のスイッチ類を日に何百回(しかも小刻みに)と押し続けるため持病の右手の腱鞘炎が悪化し、たまに手首に激痛が走り、首、肩の筋肉のコリは慢性化、長時間ほとんど動くことのない座り作業のため最近では尾骶骨(びていこつ)がコリコリとヘンな音立てる始末。もう、肉体的にも限界の粋を超えているわけですが、精神的にも相当行き詰っているわけでして、そのヘンのモノ・・・例えば消しゴムやらボールペンやら煎餅の食いカスにいたるものにまで「畜生!」と八つ当たり。昔、「ワライタケ」という毒キノコを食べるとその毒で意味もなく大笑いしたり絶叫し、挙句の果てには服を脱ぎ捨て全裸で走り出すというまことしやかな話を知人に聴いたことを思い出しました。今のオレならキノコの毒ごときの力なぞ借りずとも家の目の前の深夜の青梅街道を絶叫しながら走れそうな気がします。みなさんは日頃のウップンが溜まりに溜まってたまに叫びたくなることありませんか?どうかみなさん、捕まらない程度に近所を叫んで、そして全力疾走してください。全裸で。ご報告お待ちしております。

そんな四面楚歌の状況の中、ほんとに阿呆というか懲りない馬鹿というか、今度の火曜日、事もあろうに、ドラムの「再々」レコーディングを強行!先日の日記でドラムの「再」レコーディングの話をしましたが、その際に録音した7曲中、他の6曲はなんとか妥協できるにしても、ある1曲のドラムだけが、どーにも納得出来ず、また、ミックスしてもまとまらず、それなら生のドラムをあきらめて「打ち込み」のドラムで録り直そうか、とまで思いつめたのですが、三度目の正直、「これで本当に最後だぞ」・・・と、田口トモロヲ風の声で自分の心に言い聞かせ、その1曲たけ、再々レコーディングを決意。呆れるメンバーを巻き添えにして、火曜日、コージー・パウエルが住んでいると言う地獄の四十八丁目まで行ってまいります。それでダメならあきらめます。ド阿呆。畜生。トンチキ。




◆今夜のBGM
人間、つまらぬ恥も見栄も捨て全てをさらけだせば何も怖くない。と、バカボンのパパは人類に教えを説いているわけですが、最近、何十年振りかでケーブルTVでやっているのを観、中身はもとよりそのテーマ曲の素晴らしさを再認識。フルオーケストラを贅沢に使った分厚いバッキング、その合間を縫うようにグルーヴするファンキーなワウギター。そして、何よりも覚え易いメロディと頭にこびり付いて離れないサビのリフレイン。たかがコドモ番組のテーマ曲だからと言って一切手抜きの無いこんな完璧な仕事をするのは個人的にも尊敬して止まない昭和を代表する名コンポーザー渡辺岳夫センセイです。

「タリラリランのコニャニャチワ(元祖天才バカボンのテーマ)」/作曲:渡辺岳夫 作詞:東京ムービー企画部)

2011年2月13日日曜日

そして、犬の背にも雪。

建国記念日のおととい、TOKYOにも雪が降りました。オレのような貧民屈の奴隷に祝日もへったくれもありません。前の晩遅くまで続けていたレコーディングの編集作業が上手く行かずなんとも苦々しい気分の中、このまま会社を休んで編集作業の続きをやりたい、という後ろ髪を引かれるというか後ろ髪を根こそぎ引っこ抜かれるような思いを捻じ伏せて、世間様が温かい布団の中でまだ睡眠をむさぼっている時刻、口を糊する為のわずかな日銭を稼ぐため、人気の無い駅から地下鉄に乗り込み一人トボトボ奴隷農場(=会社)へと向かいました。途中、雪のちらつく中、向こうから人に引かれた散歩中の犬がやってきました。歳を取っているからなのか単に太りすぎのためなのか、ノソノソ、ヨタヨタと重い足取りで接近してきます。近づいてみると意外と大きく、雑種と思われるその犬の茶色の平べったい背中には、既にうっすら雪が積もっていて、それを見た瞬間なぜか「風流」だな、というヘンテコな想いと、どこか間の抜けた微笑ましいものを感じ、それがオレの灰色のすさんだ気持ちを一瞬なごませてくれたわけです。すれ違いざまに犬と目が合ったような気がしましたが気のせいだったかもしれません。ただ、心の中でその犬に礼を述べオレは先を急いだのです。


バス・ドラムの80Hz以下の超低音は思い切ってローカット・フィルターをONにすることによりモコモコ感が減り若干スッキリした感じがします。コンコン言うスネア・ドラムにはコンプレッサーでアタック音を潰して残響音(胴鳴り)の部分を持ち上げてみたら若干音に厚みが出たような感じがします。・・・分からない人が読んでもなんの事やらさっぱりでしょう。しかし、書いている本人もよく分かっていません。先日録り直したウチのバンドのドラムの音の処理にこの1週間脂汗を流しながら四苦八苦しています。7割は当てにならないレコーディングに関する参考資料の山を最初から読み返し、普段はめったに開くことのない録音機材の取り扱い説明書をスミからスミまで目を通し、限られた材料、機材、技術の中で最良の音に仕上げるにはどうしたらよいものかと連日連夜昼間の仕事でクタクタになった体にムチ打ちながらの試行錯誤。たかがゴミ・アルバム1枚作るのにここまで没頭するとは自分ながらにキチガイ沙汰だな、と、ここ2,3日思うようになりました。大丈夫オレ?すでに耳鳴りが。ん、幻聴?いや、近所のスナックから漏れてくるカラオケの音?いや。オレの鼓膜の裏でルイス・フューレイが歌っている声か?


今年の冬の寒さは厳しいといいます。実際、大雪の被害が全国各地で報告されています。しかし、オレがン十年前に出てきた頃のTOKYOはこれくらい寒かったように記憶しています。10分も着ていれば肩こりしそうなぐらい凄まじく重たい厚手のコートを着ていたのを覚えています。エリの部分に毛皮のようなモコモコのファーが付いた古着のコートでお気に入りだったのですが、それをいつ捨てたのか今では思い出せません。




◆今夜のBGM
どこを見るとでもない虚ろな視線。眉間のシワには多くを語らなくとも分かるその男(ひと)の過去が。オレの心の師、前川清が歌う異色曲(作詞:糸井重里、作曲:坂本龍一)。
「雪列車」/前川清


2011年2月8日火曜日

スティングに謝った夜。

『ポリス』のドラムみたいだな、スネアの音が。オレの『ポリス』に対する勝手なイメージからそう思ったのは先日録り直したウチのバンド「ダンボール・バット」のニューアルバム用のドラムの音のことです。念のためさっきYOU-TUBEでポリスの音源を確認したら当然もっと「イイ音」してました。スティング御免なさい。さて、新ドラマーを起用しての今回の再レコーディング。結論から言うと録音し直して正解だったと言えるでしょう。ただ、あえて、難を一つだけ言えばスネアドラムの音が自分の欲していた音に録れなかったという点です。「バスッ」というヌケの悪い70年代ロックに在りがちな割と重たい音が好きなのですが、「コーン」というような良く言えば「タイト」、悪く言えば「軽い」音に録れてしまった点で・・・・・・これはもうプレイヤーの演奏云々ではなく100%録音技師としてのオレの力不足の責任ですが・・・・・・その「コーン」というタイトなスネアの音のイメージがなぜかオレの中で日記の冒頭のように「ポリス」を起草させたのです。スネアの音だけに関して言えば正直、前回録ったスネアの音の方が自分の理想に近いと言えるかもしれませんが、そうなるともう「趣味」の問題ですからね。世間一般において決して軽いスネアの音が悪(あく)ということでもないですし、もう録音しちゃったものは仕方が無い(笑)。ここはポジティヴに考えて、この軽さを活かして、つまり、男臭い熱いロック的なダイナミズムは望むべくもないのですが(元々そういう曲でもないですしね、ウチの曲は!)、いわゆるアナログチックなんだけどどこか人工的な、っていう1980年初頭のニュー・ウェイヴ・テイストな音の処理の方向で持っていけばこの軽いスネアの音もなんとか上手く楽曲に馴染むのではないかと思ったわけです。それに、スネアの音云々言う以前の問題として、ほぼ全ての曲において数十箇所近い修正を施しそれでも修正し切れずに途中でサジを投げた前回録音分のドラム・トラックと比較すれば、せいぜい数箇所の修正だけで使用に耐え得ること確実な今回のドラム・トラック。その後の編集~ミキシング作業をやる人間にとってはそれだけでも有難いことこの上ないないわけです。スネアの音を取るか、安定したプレイを取るかと言われれば今のオレは迷いなく後者を選びます。もう地獄は勘弁です。とにかく。あーだこーだ言っていつまでもこねくり回していても仕方ありません。もうCD作るのもいい加減飽きてきました(笑)。正直、辟易しています。たかが7曲のために何百時間かかってるんでしょうか?とにかく一刻も早くこの泥濘(ぬかるみ)から脱して先を急ぐのがオレの目下の命題でしょう。



◆今夜のシネマ
アニメの実写化ほど難しいものはないでしょう。ちょっと前には「宇宙戦艦ヤマト」、そして、近日「あしたのジョー」が・・・。原作のアニメに似せようとすればするほど痛いものがあります。先日、某国営放送のキャスターが「初」の実写化、と今度公開されるあしたのジョーを紹介していましたが、実は遥か昔にとっくに実写化されているのをお忘れにならぬようお願いします。原作にこれほど似ていないのも逆の「痛さ」がありますが、この場合「心地よい痛さ」としてオレは受け入れます。
<映画「あしたのジョー(実写版:1970年版)」より>