2011年2月21日月曜日

スミマセンじゃスミマセン。

会社に「スミマセン」を連発する阿呆がいます。一日に500回くらい言っているのではないでしょうか。相手の名前を知らないのであればともかく、普段一緒に仕事をしている顔見知りの間柄の相手にでさえ名前では決して呼びかけず「スミマセン」。誰に対しても「スミマセン」。別に謝るようなことをしていなくても「スミマセン」。口癖のように「スミマセン」。背中に電池でも入っているのかと思うくらいエンドレスで「スミマセン」を連発。それをまたしゃあしゃあと素っとぼけた無表情顔で言うものだから見ているだけでもなんとなく腹立たしくなるわけです。恐らく銀河系の彼方の「スミマセン星」からUFOに乗ってやって来たのか、生まれて初めて母親の胎内からこの世に生まれ出た瞬間に発した言葉が「スミマセン」だったのか、いずれそんなところでしょう。スミマセンをついつい日常的に連発するのはオレも含め日本人の悪い癖であり、どんな場面でもどんな相手にでも当たり障りなく使えてしまう便利な言葉には違いありませんが、ここまでスミマセンを連発する人間に出会ったのは初めてです。そして、最近スミマセンの本来の「意味」を知り、軽々しく一日に500回も1000回も発してはいけない言葉なのだということを強く思うようになったわけです。「スミマセン」・・・一体何が「す(済)んでいない」というのか?これ、元々は「禅」の言葉から来ているそうで、「まだ恩返しが済んでいない」という意味だそうです。私たちは他の生き物(米、肉、魚、etc)の命をもらってそれを糧として生きているわけです。それらに対しての恩。さらに、親の恩、師の恩、友人の恩、などなど、それらのもの全てに対しての恩返し(お返し)がまだできていない(済んでいない)。それは一生かかってもできないだろうという謙虚な気持ちが転じ、深い感謝の意を表す言葉としてスミマセンが日常的に使われるようになったのだそうです。いやはやなんとも重たい言葉であります。オレのようなクズは、例え1万回生まれ変わったとしてもアリの毛穴ほどの恩返しも不可能なニンゲンです。スミマセンの意味を知った瞬間、今日からは衿(えり)を正して生きてみようかなどと人並みに野暮な考えを起こしたものの、オレには正すべき衿そのものがすでになくなっているのに気付き、始めから衿の無いTシャツみたいなものだなオレは、と、自嘲して一人で笑ってみたりしたのです。


きのう喰った「アジの開き」美味かったなあ。しかし、あのアジを喰ってまで生きる価値のあるニンゲンなのか、ボク?・・・なんて考えていたらまた腹が減ってきました。今夜はホッケの塩焼きでもいただこうかしらん?嗚呼、ほんとうにスミマセン!スミマセン!スミマセン! (×1000回)





▼今夜のBGM
中村獅童がチョンマゲをかぶって演じた丹下左膳はなんともショボかった!オレの中で丹下左膳といえば高橋幸治が演じた1974年のTVヴァージョン(演出:市川崑)。動画が見つからず、ここでご紹介出来ないのが残念ですが、『一日のうちに生まれて死んでゆく「かげろう」に生まれ変わりたい』という刹那的な歌詞が胸を打つ小室等が歌うこのテーマ曲も忘れがたい。ハプニングス・フォーのクニ河内によるチェンバロを取り入れたセミ・クラシカルなアレンジも秀逸。
「かげろうの唄」(作詞:和田夏十(市川崑・夫人)作曲:小室等)/小室等


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